曖昧

初めて聞く仏教講座という
集いにスタッフとして参加して来ました。

真宗大谷派の東京教区の青少年部主催の
集いだったのですが

ひとつ特色がありました。

それは、その集いに参加する方は
三十代まで、三十九歳の人までしか

参加出来ないないということでありました。

そのスタッフの役割というのは
当日その集いで動くということもあったのですが

事前準備として、自坊で三十代の方を誘って連れて
来て下さいとのことでした。

だいたい、お寺の行事に来て下さるのは年配の方が多いです。
ですので、今回呼ばなければいけない
年齢層というのは、お寺にとって一番縁遠い存在でした。

ですので、今回のような状況になった時に

誰を誘えるだろうか
困ってしまいました。

呼べなければ、友達でもいいですよと
言われましたが

それも又困ってしまいました。

果たして、
仏教に関する講座があるのだけど
有難いお話が聞けるから
生きるということについてのお話が聞けるから
聞いて損はないから

是非来てよと

誘えるのだろうか・・・

誘えないのです。

自分自身、誰かから宗教に関するお話が
あるから聞きませんか
自分が何のために生まれてきたのか
生きるとはなんなのか聞けるよなんて
言われたら、一種恐怖を感じ
その誘ってきた人と、深く関わらないでおこう
と思ってしまうのです。

仮に、そのような感じで誘ったら、
自分もこの人とは距離を置いておこうと
思われるのではないか
という恐怖が湧いて来ました。


ネット上には、
自分のホームページを紹介出来るように登録するサイトや、
無料でネット素材が配布されているサイトがありますが
そこには、

アダルトや、宗教に関するサイトに関してはお断りします。

という一言が添えられていることがたまにあります。

今、このように書いているブログや、明福寺のホームページも
お寺に関する、ブログやホームページですから
宗教に関するものです。そこで、宗教というのは
お断りされる、危険視される存在なのだということを
感じさせられます。

私も、仕事を辞めて、お寺に全てを注ぐなんて思っていても
そこには、仏教は本当に素晴らしい
真宗は、真実の教えである

と実は思っていないのでしょう。
すなわち自信を持っていないのです。
だから誘えないのです。

もし本当に頷いていたら
素晴らしいものは、人に伝えたい
教えたいはずなのに

他の人にいっても、理解されないだろうな
誤解されるだろうと

外に問題を置いて
実のところは
私自身が頷けておらず、理解せず、危険視しているのです。


今回そんなに一生懸命に誘わなかったのですが
お寺の永代経の時に最後まで残ってくれた方に

実は、今回三十代の人は誘わなければならなくて
困っているのだよと、泣き落としのように
懇願して三人の方に、来ていただきました。

誘われた方は、副住職が困っていて、
頼まれたし、義理を果たすような気持ちで
来てくれたのではないかと思います。

大変有難うございました。


最近お寺の行事を考えるにあたっても、
一般的に楽しい事、来ようと思えるのかという
ところから、考えてしまいます。
気楽な感じといったらいいのでしょうか



お寺に生まれた、そこには仏教、真宗を学ぶ
動機のようなものがありますが

聞かなければならない
素晴らしいものを、伝えたいと
私自身が心の底から思えない限り、

人に伝えられない、誘えない
問題は外ではなく、自分の内側にあるのでした。

今回のようなことがあるまでは、
仏教や真宗に関する本や、勉強会に参加している時は
疑問も感じることなく、気付かなかったことを
気付かされ、満足して頷きつづけてきました。

しかし、いざ、それを他人に勧める時に
私の曖昧さが照らし出されました。

ごまかし、曖昧さ、ウソというものは一度は通じても二度三度は通じない。仮に、相手を騙す気が無くても、騙されたと思わせるような曖昧な態度だけは、断じて取ってはならない。
堤康次郎

初めて聞く仏教講座
お忙しい中、来ていただいた3名様

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