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02 03
2009

考え方のパターンというのでしょうか
基本的な思考の傾向というのは

人それぞれで、
そこには、歩んできた過去や
経験に基づいて形成されるらしいです。

それはそうだろうなと思うのですが
それは赤ちゃんの頃から既に始まっているとの
ことでした。

例えば
赤ちゃんがミルクを欲した場合に
おギャーと泣いて

そこで、(母)親が母乳であったり、ミルクをあげるわけですが
そこに至る早さ一つとっても
思考パターンに影響を与えるとのことでした。

泣いて、すぐにケアする場合と
泣いても、長期間ほっとかれる場合では

これは極端な話なのかも知れませんが
世の中というスケールの大きいものの
捉え方が、逆になるとのことでありました。


すぐに親がケアする場合は、この世は素晴らしい世界である
いいものだ、安全である等など

ほっとかれる場合は、この世は辛い世界である。
危険である等など

もう一つあげると、
最初はほっとかれていても、
大きい声で泣き続けたら
来てくれた場合は

自分の意見は、強く主張しなければ
相手に届かないのであると考えるように
なるとのことでした。

この3者が他の人が困ったり、落ち込んでいる時に
かける言葉というものも大分違ってくるようです。

「この世の中そんなに悪いものじゃないよ、元気だして」

「世間はそんなに甘くないよ、気をつけなきゃ」

「自分の意見はハッキリ言わなきゃ、状況は変わらないよ」
等など

これは、どれが良い、悪いではなく
過去の経験によって違いが出てくる、

その違いを認識せず意識せず、他人と接するため
ただ己の意見を押しつけて、そこで終ってしまう。

仏教のことわざ(説話)に以下のような言葉があります。

群盲象を評す

この話は

ある王様が目の見えない人を集めて
象を触らせて、

象とはどのようなものであるかと問いかけたところ

足を触った者は、柱のようなものです
尾を触った者は、箒のようなものです。
尾の根元を持った者は杖のよう

腹を触った者は太鼓、背を触った者は高い机、
耳を触った者は団扇、頭を触った者は何か大きなかたまり、

牙を触った者は何か角のようなもの、鼻を触った者は太い綱
と象はこのようなものであると、

言い争いが続き、収集がつかなくなったという話です。

この話の解釈も様々のようですが

1.視野の狭い者が多く集まり、銘々の観点から理解したことを述べ、結果として物事の本質が見失われている状態の喩え。

2.視野の狭い者は、いくら集まったところで、本質を理解することは難しいと言うこと。また、小人物はスケールの大きな人を理解することができないと言うこと。

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』

しかし、このように解釈も出来るのではないかと思います。

人は経験した事、もしくは、
そこから導きだした事を話す。

しかし、その経験は人それぞれ違う。
違うけれども、そこに一定の枠組みを与えない限り
そこに正誤、上下、善悪の別はない。

自分を生かし、他人を生かす接し方とは、

人の意見、考え方には違いがある、
そこに価値の差はない。

という事を前提に置くことではないかと感じました。
これは中々実践するのが難しそうです・・・

この日記自体、一つの経験に基づく意見ですからね・・・
残念!!切腹!(・・・古い)
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