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『最終講義』著内田樹を読んでいて
以下の文章が心に残った

“ここに父と母と息子がいたとします。その三項では親族として不十分である。これに第四の項として、〈中略〉おじさんが加わらないといけない。レヴィ=ストロースはそう言うんです。つまり「お父さん、お母さん、息子、おじさん」の四人をもって「親族の基本構造」とする、と。なぜなら、核家族では子どもは成長できないからです。男の子が成長するためには、どうしても、父親の他におじさんがいなければいけない。 
 〈中略〉父親とおじさんはこの男の子(息子/甥)に対して、相反する態度をとるそうです。父親が息子に対して極めて権威的で、親子の交流が少ない社会では、おじさんが甥を甘やかす。反対に、父と息子が親密な社会では、おじさんが恐るべきソーシャライザーとなって、甥に社会規範をびしびし教え込む。
 男の子の前に二人の成人男子が「ロールモデル」として登場してくる。それぞれが彼に対して相反することを言う。一人の男は「こうしなさい」と言い、もう一人の男は「そんなことしなくていいんだよ」と言う。一人は「この掟を守れ」と言い、一人は「そんなの適当でいいんだよ」と言う。同格の社会的な威信を持った二人の同性のロールモデルがまったく違う命令を下す。この葛藤のうちに子どもは幼児のときから投げ込まれている。というのが、親族の基本構造なんです。“


これは親族構成を通して

どのような時に人間は成長するのかということが
記述されているのだと思う。

「ルールを守れ」
「ルールなんて守らなくていい」
このように相反するメッセージを受けた時

どうしらたいいのか
どちらに従ったらいいのかわからなくなる

単一のメッセージに盲目的に従うのではなく

迷い、矛盾を抱えて、葛藤する
この時人間は成熟し、成長するということであろう

そんな事を考えていたら
教行信証の以下の文章を思い出した。

“「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく、この二法よりもろもろの如来を生ず。」この中に般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に、般舟三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』(菩提資糧論)の中に説くがごとし。「般舟三昧の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず」と。家に過咎なければ家清浄なり。かるがゆえに「清浄」は六波羅蜜・四功徳処なり。方便般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過あることなし。かるがゆえに「家清浄」と名づく。この菩薩、この諸法をもって家とするがゆえに、過咎あることなけん。”『教行信証』


私訳 「導き」と「寄添い」により、人は目覚める。この二つのはたらきにより、成長が促される。
「導き」を父とし、「寄添い」を母とする。
また次に問題点を明らかにすること(否定)を父とし、そのまま受け止めること(肯定)を母とする。
以下のようにも言える「導きの父性、寄り添いの母性が目覚めの切っ掛けなのだ」と、目覚めの現場に問題がなければ、健全な空気が流れる。健全さとは正しい実践と習慣である。自分に対する根源的な矛盾は問を見出す智慧なのだ。導き、寄添い、否定と肯定による矛盾が大事なのだ。その時健全な場が生まれる。道を求める者は絶えず否定と肯定に立ち返り問題点を明らかにすることが出来る。そのため間違いを犯さない。

あなたは変わらなければならない
あなたはそのままでよい

全否定と全肯定の中で人は目覚める
そんな感じを受ける

私は三十を超えて実家の
お寺に入ったので焦りを感じていた。

僧侶の研修には出られるものは全部出て
来た話は、ほぼ受けていた。

そんな話をしていた時に

それをある先輩には
「もっと焦れ」と言われ

ある先輩には
「信雄(私)は頑張ってる。焦り過ぎなんじゃないか」と言われ

凄く考えさせられた。
それから動くと同時に何のためにいくのか
自分の問題関心はどこにあるのか
そんなことを考え始めたのを思い出した。

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