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1月に門徒新年会と
2月に同朋会を行った。

明福寺では月に一度何らかの形で、どなたでも参加できる集いを行っている。
お彼岸お盆の等の法要や、法要がない月は、同朋会(勉強会や、懇親会)を開催している。

最近私は多くの人間(特に私)が存在への不安を
感じているのではないかと思っている。

迷惑をかけるなら、そこに居られない
役に立てなければ、そこに居られない

仕事においては致し方ないのかもしれないが

“する”という行為を通してしか
“いる”という存在が許されないとしたら

仮に今、役に立てている自負があるとしても、
存在への不安を抱えてしまうのではないかと思う。

だからこれとは違う
“いる”こと自体を求めていくような
もう一つの考え方を基盤とした人間関係が
必要なのではないかと思う

多分それは昔から、血縁関係や地域が
担っていたのだろうと思うけど
そんなことも許されなくなってきたような気がする

勉強出来なきゃ愛されない
老いて迷惑かけられない

あなたの存在が喜びである
「あなたに会えてうれしいよ」
「一緒にいてくれて有り難う」というような

存在そのものを求めていく想いに触れた時
不安が解消され、生きる力が湧いてくるのでは
ないかと思うようになった

存在を許されるために
行為をする限り不安を抱えてしまう

まず存在を尊ぶ、
そうすると自然と価値ある行為が生み出されてくる

まあそんなに上手くいくか分からないけど

お寺なんかは
「来てくれて有り難う」といえる可能性があるのではないかと思うが

信仰を基にした共同体というモノを理想としてしまうと
信じていなければいけないの(門徒でなければいけないの)?
といった違った壁を作ってしまうかもしれない

これは考えていかなければいけないが
教えの源泉に立ち返れば自然と答えは見出されてくるかと思う。

お念仏を通して
お念仏の心に帰っていく

念仏一つとは
何一つ人間の条件を問わない
ということではないかと思う。

ご都合主義かもしれないが、、、
ご参加お待ちしております。

ちなみに
『宿業の思想を超えて―吉本隆明の親鸞』を
読んでの感想でもある。

宿業の思想を超えて―吉本隆明の親鸞 (Psycho Critique)宿業の思想を超えて―吉本隆明の親鸞 (Psycho Critique)
(2012/07)
芹沢 俊介

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