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今年の報恩講は

法要の後になごみ庵の住職、坊守をお招きして
法話+演劇(金子みすゞいのちへのまなざし)を
お願いした。

演劇は
金子みすゞの生涯が
詩の朗読と演劇によって
展開していくものだった。

金子みすゞは
26歳で自死してしまうので
悲しい話なのだけれども

なにかそこに
いのちへの慈しみを感じさせる
不思議な話だった。

本堂の後ろの方で観ていて
何人かの方が涙していた。

劇中に
多くの詩が読まれたが
私は以下の詩が心に残った。

「お魚」
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場でかわれてる、
鯉もお池で麩(フ)を貰う。

けれども海のお魚は
なんにも世話にならないし 
いたずら一つしないのに 
こうして私に食べられる。

ほんとに魚はかわいそう。 


「大漁」
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮の大漁だ。

濱は祭りのようだけど
海のなかでは
何萬の
鰮のとむらい
するだろう。

この二つの詩は
人間は他のいのちを奪わずには
生きることが出来ない

いのちを奪って
生きながらえていくことの罪

生きることの罪
生きることが罪

無自覚な自分への呼びかけに感じられた。

そしてこの詩を聞いたとき

歎異抄14条のことが思い出された

一 一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしといふこと。
この条は、十悪五逆の罪人、日ごろ念仏をまうさずして、命終のとき、はじめて善知識のをしへにて、一念まうせば八十億劫のつみを滅し、十念まうせば十八十億劫の重罪を滅して往生すといへり。これは、十悪五逆の軽重をしらせんがために、一念・十念といへるか、滅罪の利益なり。いまだわれらが信ずるところにをよばず。

これは最初の部分であるが
私なりに訳すると

念仏を唱えて罪を滅するということ
この問題は、数々の悪事をはたらいてきたものが、最後に念仏を唱えて、罪を滅して救われるということ。これは真宗の教えではない。

そして時代背景として、自分の犯した罪によって地獄へ落ちることへの恐れから
念仏を唱えて罪を滅するという異説が起ったのではないかと思う。

それに対し
親鸞は地獄へ落ちることへの恐れを
「地獄は一定すみかぞかし。」
地獄は必ずいく場所だという言葉を残し
罪を滅して救われるのではなく
罪を引き受けて、地獄を居場所とすることで
恐れから解き放たれていく

ただ開き直るのではなく
罪深い存在として生きていくということであろう

ただこの言葉をこのまま
今の自分に響かせていくことは
なかなか出来ない

そもそも罪の自覚がない
罪に無自覚なのであるから
滅していくという発想もない

ではこの歎異抄14条は
私に何を問いかけているのかと考えてみると
無自覚さの罪を訴えているのではないかと思う

ある歎異抄の勉強会で次のエピソードが紹介された

ある夫婦に子どもが授からなかった
しかし縁あって
女の子を養子とすることになり
大事に大事に、手塩にかけて
女の子を育てていく
その子が妙齢となって
ある男性に惚れ、結婚話が持ち上がった

その時その父親は
快くおめでとうと言って
送り出したいのだけれども

大事な娘を手放したくない気持ちから
おめでとうと結婚を許してあげることが出来ない

どうしたらいいかと
ある僧侶の元にやってきたそうである

僧侶「娘さんと一緒にいて、一番うれしかったことは何だい?」
父「それはお父さんと呼んでくれたことです。」
子どもが授かった人にとっては
お父さん、お母さんと言われることは当たり前かもしれないけれど
授からなかった人にとって、
お父さんと呼ばれたことは
そんなにもうれしいことなのかと感じながら

僧侶「では、お父さんとよんでくれて有難うと、伝えたらどうか」
父「娘に有難うというのですか?いえいえ、とても言えません」
僧侶「そうか、無理にとは言わない、ただ心置きなく、送り出してやりたいなら、有難うと言ったらどうか」
父「・・・」
最後には言いますと言って
お寺で娘に「有難う」を言う練習をしていくことになった

しかし、中々有難うと言えない
何時間か練習してやっと
言えたらしい

僧侶「なんでそんなに言えなかったのだい?」
父「自分がここまですれば、結婚を思い直してくれるかもしれない
その思いが頭をかすめた時に、なんて自分は罪深いのだろうかと思った
だからなかなか言うことが出来なかった」

有難うという言葉さえも利用しようとしている自分に気付いた時
なんて罪深いのだろうかと思ったということである。

私はこの話を聞いていて
自分の罪というものを感じていた

今まで自分は親に感謝の言葉を伝えたことがあっただろうか
「生んでくれて有難う」
「育ててくれて有難う」
「愛してくれて有難う」
言ったこともなければ、何か恥ずかしくて言うこともできない

果たしてこのまま有難うの気持ちを伝えずに
どちらかが亡くなってしまったらどうしようかと思った
なんて罪深いことをしているのか

そう思っているとまた出てきた
私は生涯で二度怒りにまかせて
モノを殴ったことがある

ある時タンスにパンチをして
扉に穴をあけてしまった。
そのいびつに空いた穴が私に訴えかけてくる
お前の暴力だ
お前が暴力だ
お前が罪だ

親鸞聖人の言葉に
「無慙愧は名づけて人とせず。」
という言葉がある

罪を感じる
それが人間になるってことなのかな

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