12 23
2013

ある上映会を行い
その話し合いの中で

○○という作品があり
今度それを観てみたいのだけど
調べてもらえませんかと言われた

その作品を調べてみると
大変興味深い作品で
学びになりそうだなと思った

しかし
その募集要項を見ていると

「特定の宗教・政党に属する団体ではないこと」

う~ん

また別の日

ある、WEBサイトを
リンク出来るかどうか調べていた

「1.特定の宗教活動や政治的な活動
サイト以外にはリンクを許可しております。」

そ、そ、そうですか

あるスペースでイベント企画してみませんか
とお誘いを受けた直後

「あ、だめだ。中根さん宗教絡みだから」

あ、あ、あらら

これは私の話ではないが
ある先輩僧侶が
新たに知り合った人に
お寺で仏教や親鸞の言葉を学んで
話し合いの会をやっているのだけど
よかったらこないと誘ったら

それじゃ宗教じゃないかと言われたらしい

宗教は危険である
しかし宗教者でもないといわれたわけである

どうやら宗教という言葉には
人を遠ざけさせ、
人から遠ざけられる意味がこめられているようだ

宗教とは自分を見失わせる危険なもの
迷信的なもの
心の弱い者が頼るもの

果たしてそれで全てを受けとめているのだろうか

宗とは「おおもと」という意味がある

宗教とは、おおもと、生きる上で中心となる教えであると思う。

では、なぜこんなことになってしまったのか

我々は幸せを願っている

幸せの根拠があり
幸せの条件があるという
妄念をもっているのかもしれない

例えば
健康であること、
家庭に問題がないこと、
仕事が上手くいっていること

これが自分の幸せを支えていると
では日本にある宗教はどう対応しているのか

健康に対して無病息災
家族に対して家内安全
仕事に対して商売繁盛

不安を解決する形で応えていたりする

普段なんとも思わなくても
突然病にかかり、家庭に不幸があり、会社をクビになったとしたら
何かあるのではないか
お祓いにいこう、祈願にいこうと

不安につけこみ騙すわけである

今度はそれが

非科学的で
そのようなものに頼るのは
心の弱い人間だ
頼れるのは自分だけ
という無宗教という考えが生まれてくる

これはこれで自分を絶対化し
絶えず人間が暴走する危険性を孕んでいると思う

そもそも
お願い事を超越的な存在に頼んで叶えていくことは
宗教と名のっている、宗教ではないものだと私は思っている。
そしてその不誠実さ故、危険視もしくは軽視され
遠ざけられているのではないかと思う

宗教とは何か
清沢満之の言葉を引用すれば
「宗教は人心をしてその根蔕を自覚せしむるものなり。」

これは人間存在を顕かにするもの

願いは叶えるのではなく
真実より願われている自分に気付く

いかなる環境にあろうともそれを引き受け
生きる力を与えてくれるものだと思う

他人の成功を妬み
他人の不幸を喜んでいる

ある人には媚び
ある人には尊大に振舞っている

少し手伝えば助かるのに
ほったらかしてにして
無関心でいる

真の人間とは何か
自分は何をすべきなのか
自己を問う願いに触れるのである
それが私は宗教だと思うし

仏教、浄土真宗を学んでいる上で感じていることでもある

とこの話をある人にしたら

もはや親しみやすいを超えて
本当に坊さんなのか疑っているから
安心していいよって言われた
コメント

危険がいっぱい

わたしは最近、ある映画に興味をもっている。いわゆるインディーズものの映画である。

その映画のサブタイトルは「いのちを食べて いのちは生きる」とある。新年早々に東中野(上映館)まで足を運んでみようと思っている。

一方で最近になって宗派の発行する新聞の傾向に作為を感じてしまったことがあった。ストックしてあった新聞をすべて捨てた。

>宗教は危険である

その真っ只中に居る宗教者にも身内からの危険はしのび寄る。そう思えた出来事でした。
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