今年度の報恩講を勤修した。

ご縁のあった琴の先生に筝曲の演奏をお願いし

様ざまなことがスムーズに進んだため
急遽、坊守ご絵解きを行った

四、五年前に
四幅の御絵伝(親鸞聖人の生涯が描かれた絵)を購入した時から

この絵には何が表現されているのか
興味を持ち勉強を続けていたようである

お寺の同朋会(勉強会)で何回か発表したことがあったが
報恩講では初めて行った。

発表するために勉強していたわけではないのだろうけど
普段の学びが結実したのではないかと思う

その後は
お勤めをし、
法話を聞いて終了した。

法話を聞きながら
そもそも報恩講を
自分自身どのように受けとめているのか
振り返っていた

報恩講とは真宗寺院の一番大切な法要で
宗祖親鸞聖人の遺徳を讃える法要であると謳っている

しかし自分の心の内がどうなっているのかと
いったら

どのくらい参詣者が来ているのか
という思いで充満している

大切な法要ですと謳いながら
勤めている本人が
その実、法要の良し悪しを参詣者の人数で
計っているとしたら
とてつもない不誠実だと自分自身思う

しかし、
丁寧に勤めていれば
人数など関係ないと
出来る努力を怠り
自分を問うことがなければ
それはそれで無責任といえるだろう

そういう点では
無責任に当日を向かえ
不誠実に法要を勤めてしまった

最近私は南無阿弥陀仏を
真実からの呼びかけと受けとめている

一番大切な法要で
真実からの呼びかけにより
自分の欺瞞が顕かになったと思えば
それは成功かもしれない

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コメント

恩徳讃はどこへ?

報恩講は親鸞聖人の遺徳を讃える・・・ですよねぇ。

しかし・・恩徳讃には「如来大悲の恩徳は~ぁ」ですよねぇ。

な~んか大谷派の二枚舌を感じるんです。本願寺派もそうなんでしょうけど。

覚如さんや蓮如さんの本願寺ヒエラルキーを確固たるものにするための策略になんの疑問も持たずに動員されている。いまだにそれを引きずっている。そう感じる。ま、大切にすべき行事習慣ではあるが・・・。胸中複雑なり。
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