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7月に
寺タイム -お寺でお坊さんと語るひと時―
なる行事を開催した。

内容については
僧侶でない方々に声をかけ
我々、大谷派青年僧侶有志のメンバーと
語り合いませんかというイベントである。

開催の経緯を振り返ってみると

私は今、新風会なる同じ宗派の僧侶で形成されている
勉強会に参加させてもらっている
(会の名前はダサいと思っている・・・)

ある時期、宗派に属しているということに
私にとって一体どういう意味があるのか
正直分からなくなってしまっていた時期に
(何かするにしても自坊ですればいいと思っていた)

会の一人のメンバーに
「一緒に勉強しませんかと」
言われた時には、正直うれしかった
今思うと誘いの一言を待っていたのかとも思う。

そこでは
人文科学の本や、親鸞聖人の教えに関する勉強がなされた。
教えを受けとめ、互いに自分の言葉で話し、聞き合うのは
自分では気付かなかった視点が開かれたり
深めていくという点においては大変意義があると思う。

しかし、それと同時に具体的な実践を通して学び
新たな他者と関わり続けていく
広げるという方向がなければ
真に自己が問われる学びにならないと思っていた。

宗派の諸先輩からも
「一ヶ寺一仏青」を勧められているし
教区の中でも一年に一度公的な行事として
開かれている。

しかし、上から降りてくる行事は
中身が意義深いことであったとしても
真意を掴めず、立場上の責任で
しょうがなく義務を果たすことになってしまう。
これじゃだめだと思っていた。

やりたくてやる
したいからする
そうでなければ創造性が発揮されない。

自分の内面、足元から湧き上がってくるような
下からの活動でなければやる意味はないと思っていた。

そして、
ある日会の後の食事の席で
僧侶以外の自分の友達や、知り合いを誘って
語り合う場をつくってみようと提案した。

即刻「是非やろう」ということになった
そして生まれたのが
「寺タイム お坊さんと過ごす一時」である。

メンバー全員が主体性をもって臨み
一人でも新たな人間と出会えたら
やる意義があったと思っていたが

スタッフ含め20人を超える人数が集まり
家族でもない、仕事でもない、友達でもない、

人間関係の中で対話を通して一人ひとりが
自分と向き合ったのではないかと思う。

ちなみに初回から懇親会を開催してしまうところが
我々のなせる業かもしれない・・・

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