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以前知り合いと話している時に
「親なんてどうなってもかまわない、早く死んじまえばいいのに」
という発言を聞いてビックリしたことがある。

そして発言とその人自身の人間性を問題視して
「なんてことを言うの、そんなことを言うものじゃないよ」と

表に出たその発言だけを切り取ってその人自身を判断してしまった。

その発言をさせている背景を思いはかることさえしなかった。

果たして子供が何の理由もなく
親を憎むということがあるのであろうか

この発言の裏側には何かが眠っていたのではないか
発言をさせた親の関わりがあったのではないかと
今は思っている。

私は幻想を抱いて生きて来てしまったようだ

親は子供を大切にする

そしてだいたいの家庭においてもそうだと

人は一人で育つことは出来ないから
ほったらかしにされていたら生命を維持することはできない

そこに人が存在しているという事実は
育てられてきた歴史でもある

そのことを振り返れば
自然と感謝の念が生じることもあるだろう

しかし、
「誰のおかげで大きくなったと思っているのだ」という
従属関係の歴史かもしれない

そしてまた
子供を大切にする
意味合いの問題もある

この「大切」にするということが極めて厄介なのである

いい子にしようと思って

自分の思った通りの育てようと躍起になり
子供が何かを考え、感じていることを一切無視し
自分の考え方を一方的に押し付け
その思いに応えられるようであれば愛し
応えられないようであれば
怒り、歎き、他者と比較し、
何とか自分の思い通りにしようする
それでもだめなら
おまえは駄目だと烙印をおす


その子の幸せを考えて

子供の言葉を聞き
その子の考え、感じていることを尊重し
自分の考えを提示し
それを受け入れようと
受け入れまいと、そのこと自体は拘らず
その子の生きる力を信じ
幸せを考えながら見守り
その子の成長を感じた時
我ことのように喜ぶ


とここまで現実生活においては明確に
分けられるものでもないかと思う

どちらも当てはまるという人も多いと思う。

しかし、
前者、子供を自分の思い通りに育てようという
姿勢が極めて強い場合

悲劇を生みだしてくるのではないかと思うようになった

そしてこの悲劇も色んな形で出て来る

表面的に見れば
その子の能力に応じて
エリートもいれば落ちこぼれもいるだろう

そして
社会的にある程度成功している場合なんかは
問題そのものが認識出来ないこともあるかも知れない

ただそのように育ってきた人間は
社会的ステータス、経済力、学歴等で
人の価値を決めていく歪んだ人間になり
また自分の子供に自分の押し付けられたものを
押し付けるようになるだろう

落ちこぼれた場合は
自分を蔑み、全てを人のせいにし、親を恨んでいるかもしれない

何が悲劇なのか
それは自分自身の意志を生きてこなかったことだ

ある者は他者の意志を自分の意志だと思い込み
自分自身を喪失した。
ある者は他者の意志を生きられないことを苦しみ続けた。


話は変わるが
浄土真宗のお経の一つである観無量寿経は

ある王国の息子アジャータシャトルが父親ビンビサーラを幽閉し
その母親ヴァイデーヒーが父親の命を
生きながらえようと食べ物を運び
何時までも死なない父親を不審に思った息子が
母親が助けている事実に激怒し
今度は母親を殺そうとするが大臣に止められ

その殺されかけた母親が歎き苦しみ
お釈迦様に助けて下さいと言ったところから
説かれたお経である

そしてそのことを
親鸞聖人は

「浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。」
とこのように表現している。

これをもっと簡略化していうと
この家族の悲劇的な事件を通して浄土の教えが顕かになったと

では
息子アジャータシャトルは父親ビンビサーラをなぜ殺そうとしたのだろうか
観経にはそのことは説かれていないが
アジャータシャトルの出生にまつわる話は他の経にある

ビンビサーラ王は、早く子供をほしいと願っていた。ある占い師に、山に住んでいる仙人が近々亡くなる。その仙人が生まれ変わってあなたの子供となるだろうというお告げを受ける。父親は亡くなるのを待ち切れず仙人を殺してしまう。そしたらヴァイデーヒー王妃は妊娠する。また占い師が、この子は殺された怨みをもって生まれ、いずれ父親ビンビサーラを殺すであろうというお告げをつげる。そのことを信じた父親ビンビサーラは高台から産み落とさせ赤子を落下させる。しかし、赤子は、指を一本折っただけで死ななかった。そして怨みを懐くという意味を持つアジャータシャトルと名づけられた。
またある話では
ビンビサーラ王が鹿狩りに行った時に、一頭も狩りが出来ずに、そこにいた仙人が追い払ったと思い込み臣下に殺させようとする。死ぬ直前に仙人は「来世において心と言葉であなたを殺害するだろう」と言った。

父親ビンビサーラ王は自分の都合に合わせて、息子アジャータシャトルを3回ほど殺し(かけ)ている。その息子が事実を知って父親を殺そうとするのである。

ある人が言っていた。
「親殺しに先立って子殺しがあるのではないか。」

子殺しとは生物的な命を奪うことだけではなく
意志を奪うことも殺すと言えるのではないだろうか。

またある人は
「人を自分の思い通りにしようと考えている人が
学校の先生や職場の上司としていた時
とてつもなく生きづらい世界になるんじゃないかな・・・
他の方法はないのかな」と言っていた。

私もまったく同感である。

ではどうするのか。

これは言葉を聞く、これしかないだろうと思う。

以前先輩僧侶に
「聞法とはなんだと思う」
聞かれたことある。
私は大した返答が出来なかったが

その人は
「いかなる人が、いかなる話をしていようとも、その人の言葉、表情、姿勢、立ち振る舞い、その人の真意、その人をそうさしている背景を聞いていくことだと思う。」
と言っていた。そして本質をついている意見だと思った。

また親鸞聖人の言葉に
「聞」は、きくという。信心をあらわす御のりなり。

という言葉がある。「聞」、これは、如来より願われた言葉ではないかと思う。

理想の世界を創造しようと、立場、暴力、金銭、何らかの力を行使して
人を思い通りにしたとしても、自分の思い通りにしようとしている限り、

共に喜べる世界は何時まで経ってもやってこないどころか、
壊しつづけていると言ってもいいだろう。

まず聞く、そして聞くということが成り立つ時、
いかなる現場においてもおのずと、新たな世界が開かれるのではないだろうか。
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