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02 22
2012

2012年2月8日~2月10日
鬼怒川温泉ホテルにおいて
東京教区の秋安居が開設されました。

安居(あんご)とは
一年の内で一番大切な教えを学ぶ
研修とでもいえるでしょうか

そこに取材を兼ねて参加してきました。

今回の講師は
歴史を専門としている先生で

親鸞聖人の主著である
教行信証がなぜかかれたのかが

テーマでした。

私自身は親鸞聖人の歴史、浄土真宗の歴史というのは
簡易な本で読んだ限りで詳しく知りません。

しかし、今回
歴史的事実をただ知るということではなく
その事実により
親鸞聖人にどのような問題意識が生じたのかを
見出していく試みのように感じ大変興味深く聞いていました。

歴史と聞くとだいたい
飛ばしていたのですが

興味が向いていない世界であっても
眼を向けると新たな発見があるものです。

質疑応答で

法然上人以降
念仏の教えは歴史的に見ると
たえず既存仏教や国家から
弾圧され続けていますが、

その弾圧によって
念仏の声は小さくなったのでしょうか
それとも
大きくなったのでしょうか?

と問いかけると

その問いに対する
答えは

「それは歴史をどの期間で区切るかで違いますね」

ということでした。

「流罪、死罪、選択集の版木が焼かれる
法然上人の墓があばかれた等の直後を見れば
念仏の声は小さくなったといえるかもしれませんね。

しかし、
長い間押さえつけられる中で
覚如上人、蓮如上人が立ち上がって
大きくなったと考えれば

弾圧によって念仏の声は大きくなったと
ともいえるでしょうね」
ということでした。

なるほどと思うと同時に
批判されるというのは

その存在が問われ、成長を促す
機縁になるともいえるのでしょう。

以前
檀家制度によって
寺院が国から保護された時に

大谷派教団が
虎が猫になったと

表現した人がいたと聞いたことありますが

守られ安全を保障されることで
ただ形だけが残り

真実を求めていく
本来の役割が失われていったということでしょうか。

先ほどの歴史の期間を
今現時点まで引きのばした時

一体どう見れるのでしょうか

今批判を受けていない
それは裏を返せば

批判するほどの存在感がない
ということではないかと思います。

それはただ注目を集めれば
いいというわけではなく

絶えず本当の役割を問うていく

上辺ですれ違わないで
ちゃんと人と出遇う場を持つ

それがまず一歩ではないかと感じました。

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