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11 07
2010

出産も間近に迫ってきたこともあって
自坊での法事以外は
ほぼ予定をキャンセルしています。

奥さんも長距離歩くこともままならなくなり
最近娘と二人で散歩に出かけることが
多くなりました。

先日大きな公園をベビーカーを押して歩いてたら
遊具がある場所に辿りつきました。

そこには親子連れが沢山います
そこで一緒に遊んでいくかと思ったのもつかの間

そこには母親と子供しかいない・・
なんか行きづらいな・・・

(男よ男よ)
(何あの人、平日にブラブラして)

って思われたらどうしよう・・・

う~んどうしよ
そもそも悩む必要ないことなのですが

進路変更、人気がない場所に移動・・・

大無量寿経の
三五願に
たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人あって、我が名字を聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終りての後、また女像とならば、正覚を取らじ。
と説かれています。

現代風に言い直したら
私が仏になるにあたって、女性が念仏を称えて、よろこび、真実を求める心をおこして、女性であることを嫌った場合、寿命がつきて、また女性となったならば、私は仏とならない
という感じでしょうか

また親鸞聖人の和讃にも以下のようなものがあります。

弥陀の大悲ふかければ
 仏智の不思議をあらわして
 変成男子の願をたて
 女人成仏ちかいたり


文章だけ見れば阿弥陀仏の本願力によって
女性が男性に生まれ変わって浄土に往生するという
ことでしょうか

そもそも
十八願で十方衆生よと呼びかけて
あらゆる生きとし生けるものの救いを建てているのに
三五願で改めて女性の救いを建てるのはなぜか

そして、歴史的経緯があるとしても
現代においてこの文章そのものが
女性差別を助長しているのではないか

ということが僧侶の勉強会の話題に
上がることがありますが
特に男性だけ話していると
理として話して、そこに痛みが走ることが殆どない

逆に女性が熱烈に述べていると
反論も肯定もせず、私は黙りこんでしまうこともあります
自分の問題となっていないからだと思うのですが

変成男子の願が訴えているのは
低い場所にいる女性が、高い場所にいる男性に生まれ変わることを
伝えたいわけではないでしょう。

大無量寿経の本願の数は、四八願ですが
異訳の経典では二四であたり、三六であったり変化しています。

有史以来、ありとあらゆる差異に上下関係をつけて
具体的な差別の形となって、表面化してきたものに

一つ一つ対応していった
それが四八願の歴史かと思います。

そこで性別という、今も昔も変わることなく
あり続けている差異に、

男女云々ではなくして
性別によって、生き易かったり、生き難かったりする
それがそもそもおかしいことなのである

それを具体的な願文として押さえた
ということだと感じているのですが

それは私が男性だから感じている
身勝手な解釈でしょうか。

僧侶の世界は圧倒的に男性が多い
私が想像しえない苦しみが蔓延しているのかも

そういえば、そもそも一方的な思い込みで
公園で排除されてもいないのですけど・・・
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