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今日はお寺の掃除をしました。
週に一度は掃除をしますが
今週末は報恩講を控えているということもありまして、
普段掃除しないような所も掃除しました。
窓の外側や脚立を使わなきゃ
吹けないところを吹きました。
バケツに水を入れて、雑巾で
窓を拭いていくと
窓は透明さが増していきます。
しかし、見る見る、雑巾が黒くなっていきます。
そして、雑巾をバケツの水ですすぐと
今度はその水が黒くなります。
そうしますと、雑巾はいくらか黒さが取れています。
そうか窓の汚れをとるというのは
最終的には水を汚すことなのだ
汚れは移せても、消すことはできないのか
汚れた水は流してしまえば目の前から消えますから
消したと思っていますが。
汚れを移動させることで
解決をはかるということは
すなわち、本質的に汚れているものは
ないといえるのではないでしょうか。
汚れているというのは一つの状態である
表面にホコリやチリがついている
しかも、それは表面にホコリやチリがついている状態を
汚れていると感じる
私の心の問題ともいえるのではないでしょうか
そしてホコリやチリを拭きとっても
時間をおけば、ホコリやチリは継続的についてくるのです。
だからこそ、絶えず掃除をしなければならないのでしょうけど。
窓を人間に、汚れを苦しみ悩みに置き換えたらどうでしょう。
「今悩みや苦しみを抱えていますか?」
と問いかけたら
割合はわかりませんが、
「はい」という人も、「いいえ」という人もいるでしょう
しかし、「いいえ」という人に
「これからも、悩みや苦しみを抱えないと思いますか?」
と問いかけたら
「はい」という人もいるかもしれませんが、
「いやそれはわからない」となるのではないでしょうか。
私は、悩みや苦しみが出来たら
当たり前のことですが、解決をはかるようにします。
行動であったり、努力であったり
悩み苦しみを感じさせているものにはたらきかけ、
悩みや苦しみを消しにかかります。
そして消したと感じることが出来た時
解決したと感じます。
そして、また他の悩みや苦しみが出来れば
行動や努力で解決をはかります。
私のはたらきで私の悩みを解決する。
そういう図式ができるのではないかと思います。
解決が出来なければ、運が悪いか
努力や頑張りが足りない。
生きていれば絶えず何かが起きて来ます。
その流れの中にいるのに、
悩みや苦しみを感じさせてない瞬間に
辿りつこう、辿りつこうとして
仮に辿りついたと感じても
あくまで仮ですから
新たな悩みが出来たら元の木阿弥です。
私の努力で悩みを解決するというのは
本当の解決なのでしょうか
仏教の根本的な教えに
一切皆苦という言葉あります。
字の通り
仏教は現実を「苦」という。それは現実を生きることは本質的に人間にとって苦であることをいう。
全てが苦しみ。
これは、苦しみは解決する、苦しみを消すという
私の行動からは思いもよらないことです。
全ては苦しみである。苦しみを苦しみと明確にすることで、
苦しみを消すのではなく、苦しみから離れるということが起こるのでしょうか。
週に一度は掃除をしますが
今週末は報恩講を控えているということもありまして、
普段掃除しないような所も掃除しました。
窓の外側や脚立を使わなきゃ
吹けないところを吹きました。
バケツに水を入れて、雑巾で
窓を拭いていくと
窓は透明さが増していきます。
しかし、見る見る、雑巾が黒くなっていきます。
そして、雑巾をバケツの水ですすぐと
今度はその水が黒くなります。
そうしますと、雑巾はいくらか黒さが取れています。
そうか窓の汚れをとるというのは
最終的には水を汚すことなのだ
汚れは移せても、消すことはできないのか
汚れた水は流してしまえば目の前から消えますから
消したと思っていますが。
汚れを移動させることで
解決をはかるということは
すなわち、本質的に汚れているものは
ないといえるのではないでしょうか。
汚れているというのは一つの状態である
表面にホコリやチリがついている
しかも、それは表面にホコリやチリがついている状態を
汚れていると感じる
私の心の問題ともいえるのではないでしょうか
そしてホコリやチリを拭きとっても
時間をおけば、ホコリやチリは継続的についてくるのです。
だからこそ、絶えず掃除をしなければならないのでしょうけど。
窓を人間に、汚れを苦しみ悩みに置き換えたらどうでしょう。
「今悩みや苦しみを抱えていますか?」
と問いかけたら
割合はわかりませんが、
「はい」という人も、「いいえ」という人もいるでしょう
しかし、「いいえ」という人に
「これからも、悩みや苦しみを抱えないと思いますか?」
と問いかけたら
「はい」という人もいるかもしれませんが、
「いやそれはわからない」となるのではないでしょうか。
私は、悩みや苦しみが出来たら
当たり前のことですが、解決をはかるようにします。
行動であったり、努力であったり
悩み苦しみを感じさせているものにはたらきかけ、
悩みや苦しみを消しにかかります。
そして消したと感じることが出来た時
解決したと感じます。
そして、また他の悩みや苦しみが出来れば
行動や努力で解決をはかります。
私のはたらきで私の悩みを解決する。
そういう図式ができるのではないかと思います。
解決が出来なければ、運が悪いか
努力や頑張りが足りない。
生きていれば絶えず何かが起きて来ます。
その流れの中にいるのに、
悩みや苦しみを感じさせてない瞬間に
辿りつこう、辿りつこうとして
仮に辿りついたと感じても
あくまで仮ですから
新たな悩みが出来たら元の木阿弥です。
私の努力で悩みを解決するというのは
本当の解決なのでしょうか
仏教の根本的な教えに
一切皆苦という言葉あります。
字の通り
仏教は現実を「苦」という。それは現実を生きることは本質的に人間にとって苦であることをいう。
全てが苦しみ。
これは、苦しみは解決する、苦しみを消すという
私の行動からは思いもよらないことです。
全ては苦しみである。苦しみを苦しみと明確にすることで、
苦しみを消すのではなく、苦しみから離れるということが起こるのでしょうか。



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