環境

休みをとると
最近は結構出かけます。

自分一人であったら
家で本を読むか、
スポーツセンターにいくか、
漫画喫茶にいくか、
自分の今まで行ってきた
行動内の行動をすると思うのですが

独身時代から
夫婦になって
子供が出来て家族になると

具体的な意思を伝えられて
要求されるわけではないのですが

夫であり、父親の
立場に要求されるとでもいうのでしょうか

それなりの事をしなければと思って

家族連れが行きそうな場所
お台場に行ったり、

幕張にあるアウトレットモールに
行ったりしています。

そもそも私はペーパードライバーで
あまり運転もしなかったのですが

さすがに乳幼児がいて外出となると
何かと便利ですから

車で行かなければならないと思い
最近は運転するようになりました。

また車で家族連れが行きそうな場所に
行くことが、自分自身も楽しく新鮮に感じています。

一人であればそういう発想も生まれませんし、
その場所に行くこともなかったでしょう。

普段と違った場所に行き、
違った風景を見て
違った物を食べる

ただ、それだけのことなのに
一日が特別になるというか
活き活きしています。

また私自身そういう効果をあまり
気付いていなかったというか

同じことを、繰り返す行動をとって来たので
尚更、違った事をすることによる
心の変化というものを感じています。

日常生活の行動において

自分意思や想いで歩んでゆく
自分の努力で推し進めていく
そのような気持ちでいます。

しかしそこには絶えず
私の考え、意図を超えたところから
周りの意思があるかないかにかかわらず

鍛えられる
育てられるということが
起こってきます。

そろそろお寺に入って
一年ですが

誰かに指示を受けることも殆どないのですが
寺にいるという事実が私の行動に
働きかけてきます。

このブログもただ個人的に書いているようなものですが
人目に触れているとういう事実が
他人の目を意識させて

私自身の思いや感情を文章化するという行為が
以前に比べたら少しは上達しているような・・・
していないような・・・
(最近ブログ上では殆どコメントも、拍手もありませんが)

少し話は変わりますが
本堂のお花にユリがあがることがあります。

私のイメージの中で、
ユリは綺麗で優雅なのですが
その反面脆さも感じさせる花でした。

しかし、岐阜に行った際に
見た自生しているユリは
逞しさ、強さを感じさせるユリでした。

ユリには、確定的な弱さも強さもないのです。
育った環境、育てた土地がそのままユリに
表れていたのです。

だからといって今の自分を
気にいることが出来ないとしても
それは環境のせいではないはずです。

むしろ不満を感じさせているのであれば
行動を起こせと促しているのでしょう。

日本人は、古きより美しくやさしき自然に育てられて、美しくやさしき詩人たるべく養われたりき。
山路愛山

人は環境を変える 人は環境で変わる
数学の先生

人間を変えるものは環境ではなく、人間自身の内なる力なのです。
ヘレン・ケラー


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