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09 29
2009

お彼岸のお中日は
模擬店を行うので

毎年人出が結構気になるところです。

今年のお彼岸のお中日は
連休最終日でしたので
少し分散して
例年より、少し人出が少なかったようです。

お彼岸のお中日には法要をして、
その後、私も少しお話をします。

話の内容は
行事のお誘いと説明をして、
少し感じたことを話しています。

自分でいうのもなんですが
結構笑いが起きます。

しかし、それでいいのかという
疑問が自分の中にも出てきましたし、

聞いている人からも
ちょっと批判が出てきました。

あれじゃ中身がない

住職と比較するとちょっと

そして、法要が終わってから
お手伝いして下さった方と

打ち上げをしている会話で、
副住職はよく頑張っているけど
今一歩なのだよ

細やかな部分、緻密さが足りない
こういう感じのことでした。

注意や、指摘を受けると
聞きたくないと思ったり
ムカっとすることもありますが

後々考えてみると言われた通りだなと
思いますし、
そもそも何かを私に伝えてくれることが
大変有難いことだと思っています。

表面的に取り繕っているのではなく
本当に有難く思っています。

私はお寺の法要等に最初に出たのは
いつだったのか・・・

たぶん小学生か中学生時だったと
思うのですが

存在自体を(本心かどうかは別として)
褒められ、有難く思われ続けてきたのです。
(そんなのは思い上がりだと言われるかもしれませんが)

「お経あげてくれてありがとうね」
「いいお声ね」
「まあ立派な息子さんで」

小さいころはそれでもうれしく
思っていたと思うのですが

年齢を重ねるにつけて、
儀礼的な感じで受け止めて来ました。

就職して
社会人一年目の頃は
先輩を
イライラさせ続けてきましたし、

転職してからは
怒られることも、褒められることもありましたが

そこでの評価では一喜一憂していました。

それは、真剣な目で見られていたからでしょう
だから私も真剣に受け止めていました。

しかし、お寺ではどうであったか
特にこれといって行動もしていなかったのですが
褒められ、有難く思われてきたのです。

批判や、注意というのは
もっとこうした方がいいとか
改善点があるとか

期待とまではいかなくても、
より良くなってほしいからでしょう


そもそもお寺の息子に対して何かを
期待することもない

お墓を管理して、
お線香つけて

通夜、葬儀、法事で
何を言っているかわからなくても
お勤めをしてくれれば
それ以上は特に・・・

期待もないから、批判もない
批判もないから、問題意識も育ちません
何かしようとも思いません

そもそも何かを本当の意味で期待されても
いないでしょうから
最近何か具体的に始めてみても

私自身空回りしている感は否めないのですし、
そしてまた確信を得た行動でもありません。

やってみたらいいかも、そして結果を待つ
だめだったらやめればいいや
こういう感じです。

だけど私が信じて疑わないのは
人に仏教であり、真宗の教えが
必要であるということです。

しかし、それがどういう形で伝わるのか
また私自身がはっきり教えをわかって
いないですし

(わかってないのに、信じて疑わないのも変ですけど)
今の感情を言葉にすると、わかってないのに信じて疑わない


何かをすると殆ど好意的な言葉をかけてくれる方が多いです。
それでも、何もしてないのに
有難く思われて時より
遥かにうれしく感じています。

そして、そもそも批判の対象にさえなっていなかった
私が最近は批判を受けるようになってきました。

(批判がうれしいわけではないのですが)
私のことを本当に見てくれるようになった
と感じ

注意してくれた、意見してくれた人に
その上で褒められたいのです。

同志の批判には憂いがあるはずだ。
[出典]
石川達三


良い批判は無分別な親切に勝る。
イソップ

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